オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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人に期待してしまう行為は精神性の低さ・だそうです。



今回は私のオカルティー読書のまとめです。
オカルティーです。
毒されたくない方は逃げてっ!(笑)

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そして、先日の島根から広島の道中、
バスから撮った田舎風景写真も並べてみます。
(日帰り旅行はほとんど移動時間だったのでした。)
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まだ途中ではありますが、現在
「準備が整った人に、奇跡はやってくる」著者ウエイン・W・ダイアー
という本を読み進めています。
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いわゆる【引き寄せの法則】系か?と思いましたが、
思い続けるだけで叶うというその系統とはちょっと違い、

「人生を変えるカギは意思にあるのです。
希望や願望といった受け身でものぐさなエネルギーを、
行動や意思というアクティヴなエネルギーに
変えることが必要なのです。」

というように、
わりと能動的な思考です。

行動力が出ないことが悩みの私は、
動く力が欲しくてこれを購入。読み始めたのでした。


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で、読み進めているうちに
よくオカルティーの世界では警鐘されている
〈人に期待するという行為がいかにいけないことなのか〉
の内容があり、
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そうそう、またオリンピック(冬季)のシーズンが近づいてきたので、
〈勝手に選手に期待してはいけないのだ〉
ということを今期も書いておかねばと思い出した次第です。

そろそろマスコミが選手を取り上げて
メダルメダルと国民の勝手な期待を煽る時期でしょう。
「メダル獲得予想」とかうるさいわと。

そうやって人々に身勝手な期待を抱かせて
視聴者の精神性を下げさせることを防がねばなりません。

また、
高梨沙良ちゃんや吉田沙保里さんがその実力を発揮できず
涙してしまう原因となった
報道の身勝手な期待スクラム
こういう報道の在り方に我々は
騙されないようにしなければなりません。キリッ( `ー´)

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(道の駅には島根名物・どじょうすくい饅頭がどどーん。)


初めて〈人に期待すること〉が精神性の低い行為だと知ったのは
バシャールさんの「ペーパーバック」からでした。
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エササニ星から地球人にいろいろアドバイスしてくれてる
バシャールさんです。オカルティーですね。


「私たちの文明(エササニ)では、
人間関係はどうあるべきかという 『期待』 を持ちません。
自分自身でいられるように、それを受け入れます。
自分の目から見て 『あの人はこうするべきだ』
 というものも押し付けません。
その人がそのままでいいということを受け入れてあげれば、
その人自身が自然に一番いいところにいきます。」


著書を読んだ当時、私はこの意味が解りませんでした。

だって人がいて、自分の意思があって、
〈こうしてほしい〉と思うのは普通のことでしょう?
と、すっかり思っていたもので。

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人間関係に「期待」を持たない。
自分自身であるために。
その人が自然で一番いい状態であるために。


これは、いかに期待というものが
自分や相手を「ありのまま」の状態から引き離してしまうのか

ウエイン・W・ダイアーさんの言葉を抜粋します。

「「○○さんにはこうあってほしい」
「夫/妻/親/子供/友人/部下/上司なのだから、このくらいすべきだ」
こういうふうに人になにかを求めていると、
本当の自由は味わえません。

誰かに対して腹がたったり不満を持ちそうになったりしたら、
こう自分に言い聞かせてみましょう。
「この人は、私に何の義務もないのだ。私は何も期待しない。
いま、この場のありのままのこの人をただ受け入れよう」と。」


「期待する」って、いっけん前向きなことのようだけど、
相手をがんじがらめにしてやり辛くさせてしまう。
そして、
人に期待することで、
自分自身の自由も制限してしまう行為なのでした。

「~~であるべきだ」
という思考は、相手を自分の思い通りにコントロールしたいという
まっこと幼稚な思考なのです。
これは人の精神性を下げる思考パターンなのであります。


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また、ダイアーさんは
自身の夫婦関係についてもこのように述べています。

「いつでも妻に賛成しようというのではありません。
しかし、妻は私の所有物ではないし、
逆に私も妻の所有物ではない。
私たちは、自分の魂に全責任があるだけなのです。」

そう。何者も人は所有物ではないのです。
ただただ、
人は自分自身の人生に責任があるだけなのです。


配偶者だから、自分の子供だから、雇っているのだからと
人に利己的な期待を押し付け続けるとどう善くないのかというと

「他の人になにかを求めたり期待したりするかぎり、
奇跡は起きません。
奇跡を起こすには、
周りの人を完全に無条件で受け入れることが条件です。
判断や要求がまったく無の状態でなければなりません。」

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ダイアーさんが言うところの「奇跡」というのは、
自分がこうありたいと願う未来を手に入れる行為のことです。

自分の思い通りの人生にしたくて
人をコントロールしようとする行為が、
皮肉にも
思い描く人生から遠ざけてしまうというのです。

ダイアーさんいわく、
「奇跡」は精神性を高くするところから始まるのだそうです。


さて、
高い精神性の真逆の人はどのようかというと、

「精神性から分離している人ほど、
高い地位や財産を所有することを目的とする傾向にあります。

スポーツ選手なら競技に勝つことが目的でしょう。
社会での成功の度合いは、
地位、収入、受賞の有無など外側のレッテルで測られます。」


う~むむ、意外にも
スポーツ選手の方が勝つことを目的にすることも
「精神性の分離」になるんですね
(;・ω・)

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ではどのように精神性を高くすると良いのかというと、

「聖職者のようになる必要はありませんが、
人生を豊かにするのは、財産ではなく、
他の人々に何を与えることが出来るかで決まることを
知ってほしいのです。

行為の結果(勝利や報酬)に執着しなくなれば、
逆に、行為のレベルは高くなっていくのです。」


私は何をすることで
人々にどんなことを与えることが出来るのか?

を中心に行動していくことが
結果的に行為のレベルを高くする
(「奇跡」をおこす自分になっていく)
と、ダイアーさんはアドバイスしています。

けっきょく人は人のために生まれてくる生き物で、
その本懐をまっとうすることでこそ
〈自分らしい幸せ〉を創造することが出来る、
ということでしょうかね。

なんか分かりますよ。
人のために起こしたアクションしか
いつも上手くいきませんもん。

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バシャールさんもこのように言っています。

「最高の幸せというのは、全体のために尽くすとき、
全体のためにサポートになっているときに感じるのです。
なぜなら、その時には、
同時に全体から自分も尽くされ、サポートされるからなのです。」


ここで言う「全体」の意味を説明しますと、

宇宙は最初、たった一つの「The One」だった。
しかし、一つでいると成長できないので、
「The One」は細かく分離した。
個別になることで、個と個が接触し経験値を上げていくために。
それが今の宇宙の始まり。
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だから私たちは元々すべてが一つ。
他人も、物も、星も、宇宙も、
「私」であり
「私」が
他人や、物や、星や、宇宙の一つでもある。

よって、
「全体」とは自分を含む宇宙の全てである。


と、そんな感じだったと思います(うろ覚えン)


全体のために尽くすとき、
全体からも尽くされている。
それが最高の幸せというもの。
と、
バシャールさんは言っているのですね。
ん~難しい!


宇宙全体のためって考えると難しいから、
とりあえず
〈自分がなすことで喜んでくれる人たちのため〉
と考えればいいんじゃないかな。

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(材木屋さんかな。)


そして、
喜んでくれる人たちのためにと思っていたら、
「あなたに喜ばせてほしいの・ぜひ。期待してるわよん」
という、
向こうからのプレッシャーがやってきた(笑)

さて、どうしたものか?


そこでバシャールさんのこの一言。

「周りの期待といっても、あなたが受け入れなければ、
それは周りの期待として受け取られることはないですね。」

だ っ て さ (笑)


そう、期待してる人は勝手に期待してるだけ。
何もそれにいちいち応じる筋合いはないのであった(笑)


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に続きます ⇒