オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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オカルティー in お葬式③ 怒りと否定が起こる理由


オカルティー注意
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苦手な方はスルーするざんすよ。

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のつづきです。

前回では、喪主の嫁『奥さんA』が
葬儀であまり接待しないなど、
こちらの田舎では嫌われている・が、
宇宙人バシャールさん説くあるべき人間の姿に近くて
すごいな~っていう話をしました。
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なんでも、バシャールさん曰く
「すべての物は本質的に中立」であり、
あの人は悪い、あんなことは善くないと思うことは
「こういうことが起きたらこれは悪いことだ、と教えられてきたから」
なんだそうで、
悪い人が居るんじゃなくて、
単に、悪い人だと自分が判断しているだけ
なんだ、ということでした。

そして、
そういった判断を人に対してしなくなった時、
「その人(相手)自身が自然に一番いいところにいき」
そして、自分自身も
「自分の個性を100%発揮」でき、
やがては
「全体とひとつになることができる」
という、深い話です。

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(幼稚園に飾られたひな壇)

人類の進化の行きつくところは、
個々が自分自身になり、(人類)全体と一つになる
らしいです。
人類全体がそうして繋がっていくようです。


ハイ。分からなくていいんです。
今はただ、こういう考え方があるんだと心にとめておいてください。
いつかは分かる時が来ると思います。

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で、

前回話題にしました、
仕事ができ、田舎の慣習にはほどほどな態度をとる
奥さんA』ですが、
バシャールさんの説く「あるべき人間の姿」
かなり近いなとも思うのです。

バシャールさんの言葉を抜粋します↓
「裁き、判断、あるいはよくないことだ、
というように否定することは、
自分自身を否定しているということです。
自分の持っているものを人に投影しているということです。
すべての裁きというのは、自己判断なのです。」

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(祖母の学生時代かな)

説明を補足しますと、
自分の強い思いこみが心の中にあると、
それを体現した人が現れるのだそうです。

バシャールさんは、犯罪を恐れすぎることも、
犯罪者との遭遇を引き起こすと説明されていました。
目の前に現れる人は、自分の深層を反映した人なのだ・と。


さらに言葉のつづきを抜粋します↓
(判断が)他の人からくる場合でもそうです。
それを受け取ることも受け取らないこともできます。
「誰か他の人のことを話しているんじゃない」
ということもできます。」

自分が判断される立場になった場合のことですね。
しかしそれは受け取らなくても良い・と。
あーこの人は誰かほかの人のことを話してるんだわ~
ぐらいに思ってスルーすることも出来ますよ・と。

これは、まさしく『奥さんA』!

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(祖母の兄弟の娘さん)

田舎には『こうするべきだ』という価値観が多い。
そして、その価値観を自分の判断だと思い、
その価値観から外れている人を断罪する人も、多い。

そういう中で、自分を貫く奥さんAはすごいし、
何よりも、
かなり面と向かっていろんな人から批判がましい態度を受けるのに
「ん?」という顔をして
「ホッホッホ」とただゆっくり笑い、かわすのです。

これぞ、
「誰か他の人のことを話しているんじゃない?」
ですね。
何というすごい人がこの田舎にいるんだ!

奥さんAがそうできるのも、
いつでも自立して自分でやっていけるという自信もあると思います。

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(たぶん祖母と姉妹たち)

逆の立場として、
主婦で、マメに親戚の集まりでも嫁仕事をして好かれている
奥さんBの話を前回しましたが、
正直、奥さんB
嫁仕事は嫌いだと思うのです。

それでも必死にそうしているのは、
どこかで
自分では仕事ができない、自立できない「と思っていて」、
だからこそ〈良い嫁〉をして可愛がられることでしか
自分を証だてられない「と思っている」のではと。

そしてそのうっぷん
自立していて堂々と気の向かないことは欠席する
奥さんAに向かい、批判や不満につながっているのではと
勝手に分析。

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(祖母の妹さんかな)

さてここでバシャ-ルさんが説明する
(人を)否定する人の真理について抜粋します
「否定的な行動をする人たちというのは、
自分は自由ではないと信じている人たちです。
否定的な行動というのは、
『パワーがない行動』なのです。」


私は自由じゃない。
それを変える力もない。
そう思いこんでいる人ほど人を否定する・と。

そして
どういう時に否定的になってしまうかというと、

否定的なエゴというのは、
自分自身で自分の人生をコントロールできない、
自分にはそんな力がないんだ
と思ったときに、
顔を出してきます。」

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(祖母女学生時代)

私は夫の稼ぎに頼るしかない。
〈良い奥さん〉しなければ生きる道がない。
嫌だけど、あれこれ面倒見の良い態度をとって
良い奥さんをしなければ。
(良い奥さんしない女性登場)
何なの?あの人だけ嫌なことから逃げて自由に振舞って!
あの人は間違ってる!
だって『世間』だってああいう人は駄目だって言ってる。
(いつの間にか世間一般に流れる「判断」を
自分の判断だと思いこんでしまっている)


という感じで、
自分に力がないと思いこむこととそれによるストレスが
人を否定する流れになるということでしょうか。

私も仕事できない人間なので
嫌な雑事を「やらなきゃいけない」雰囲気に負けやすいし、
自信のある人が雑事を断わっていたらイラつくと思います。
でもそれは、自由な人へのコンプレックスかなー。

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(たぶん祖母と祖父。どこかのお寺かな。)

バシャールさんは『怒り』についてもこう説明します。
「他人に怒ったり、怒鳴ったりするのは一般的に、
その人自身が『自分の中に力がない』
と感じているときです。」

否定的になる気持ちも、怒りも、
自分に力がないと思うところから来るようです。

そういえば残念な人ほど
TVとか見て有名人とかに悪態ついてるイメージです(笑)

怒りというものは
「自分の中にあるエネルギーが出てきて、
中にあるもの(思いこみ)と外にあるものが違うと思ったときに起こります。」

とのこと。
自分の思い込みと相手の反応が違った時に怒るわけですね。
しかしそういう時には

「自分が内側に見ているものと外とが違うからといって、
外のものを判断する必要は全然ないんです。
お前は間違っているとか人を批判するのではなく
自分が相手の模範とまずなって、
相手があなたの言うことを聞こうとするならば、
こういうふうにしてみたらということが出来ます。」

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(祖母のお兄さんの子供時代)

相手が耳を傾ける様子なら、
「こうしたみたらどう?」とアドバイス
聞きたくないという様子なら、
たぶんほおっておくしかないのかなと。
自分の持ってる「判断」の方が頑なかもしれないですしね。

とにかく、
バシャールさん曰く
人は変えることはできないし、
人の人生に責任を持つこともできないのだそう。
(私はこれを理解するのにずいぶん年数がかかりました。)


そして、

「この文明の中で混乱がおきてきたのは
みなが違う見方をしているからではありません。
違う見方をしている人たちが、
自分の見るものだけが一番正しいと思ってきたからです。」

と。

人はついつい
自分の考えが一番正しいのだと思ってしまうものです。
そして、
その一つ一つがこの世界の混乱を生んでいるのだと…


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⇩これは私の部屋のボードに貼ってあるものです。

このチラシの裏に書いた『人類が幸せになるためには』
いつかいたのかもう覚えてはいません。
ニートが本気で人類の幸せを考えるとか笑っちゃうでしょうが
(しかも汚ったない走り書きですが)
これを書いた時は至って本気で書いていたのでした(笑)
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しかし、今バシャールさんの本を読み返してみると、
あんがい大きく外れているわけでもなかったかも?


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さて、

お葬式の親戚の集まりで私が想い返した
バシャールさんの言葉の数々。

さらに
自分なりに男女のこれからと田舎の現状&未来
想いを馳せるに至りましたので、
よろしければもう少し
この長話にお付き合いください。




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(祖母たち。どこの港だろう?)