オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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オカルティー in お葬式④ 同じ高さになって…


オカルティー注意
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そっち系の話が苦手な方はスルーして下さい。

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のつづきです。

お葬式を通して、
女性が女中あつかいな田舎の慣習におどろき、
その中で、
仕事に自信があり、慣習におもねらない奥さんA
慣習に従うしかない(と思っている)奥さんB、
奥さんB奥さんAに対する苛立ち、
といった人間関係にいろいろと考察するものがありました。

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(そろばんをはじく祖母)

集まり ⇒ 男は宴会・女は女中、という慣習について、
ほとんどの女性が内心嫌がっているとおもう。
そこで「自分の良い嫁っぷりを見せられる」と思う女性以外は。

人数の半分である人が嫌がっているのに、
田舎ではその慣習がなかなか無くならない不思議。

女たちが集まって話し合って、
「集まりは外食で済ませましょうよ」とみんなで説得すれば、
というか家での集まりを女性側が拒否さえすれば
外食に出来るとは思うんですけどね。

しかしそうならないのは、
女たちの中から
「私はあの人たちと違って”ちゃんと”慣習に従う良い女です」
といった「抜けがけ女性」が現れて男性側に付く、
という実情もあると思います。

また、慣習に従ってきた古株の女性たちが、
後続の女性たちが慣習から抜けることを許さない、
という側面もあると思います。

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(祖母のいとこかな)

田舎には、なんか凄く怖い婆さん連がいたりします。
目下の女性にだけ怖い婆さんたちです。
意図的に不必要な用事を増やしたり、
無茶な我儘をきかせて女性たちを振り回します。
(今回の一連の葬儀でもおおいにありましたとも。)

残念ながら、
男尊女卑の色濃い地域ほど、
女たちのピラミッドがクッキリと存在するようです。

『明治・大正時代の女は意地悪だった』
と、実体験をコラムに書いておられた作家さんがいましたが、
なんかそれ、すごく分かりました。

公にされることが少なく、知らない人も多いようですが、
明治・大正時代には
母親の娘に対する虐待がかなり多かったそうです。

アメリカで成功したアーティストの草間彌生さんも、
幼少時、母に蔵の中で殴られていたそうです。

逃げ場のない男尊女卑社会の中で、
女たちのストレスは、
自分よりもさらに弱い女たちに向かっていたのでした。

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(祖母のいとこ?)

女たちの虐待やいじめは
男目にはつかないように行われていたのでしょうが、
それにしても、
同じ家に住んでいて男たちが知らないわけはないですよね?
見て見ぬふりをしていたのではないですかね。

そこまではげしい歪みが生じていても、
それでも見て見ぬふりをした、
つまりそれを『よしとしていた』男たちの心理はこれいかに?

それはザックリ言ってしまうと、
『相手がしたがってくれる人間関係のほうが自分が楽だから』
という心理があるんじゃないですかね?

相手が自分の意見に反論できない状況、
相手が不均等なことに苦しんでいても文句を言えない状況、
自分がどうふるまっても相手が逃げられない状況、
そのほうが自分が楽でいられると、
そう思ってないか?と。

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(祖母の姉妹たちかな)

現代の田舎の、
節目の度に家に人が集まり、大飯を食らい、長々と宴会をする。
その度に自分の母や嫁たちが疲弊している。
それを知っていても家での集まりをやめない男たち。
も、同じ心理ではないかな。


作家の中村うさぎさんが
「楽すること イコール 幸せ、ではない」
と書いておられましたが、
このことを理解できないまま一生を終える人も少なくないのでは。


さて、長い前置きになりましたが
オカルティーに突入しようと思います(笑)
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まずは超有名宇宙人・バシャールさんの言葉を
『ペーパーバック』から抜粋してみようと思います。

全ての人は、男性的エネルギーと女性的なエネルギーを
自分の中に持っています
その二つを、一番最初にひとつに統合することによって、
個人として、とても輝いた状態になれます。」

「あなたが誰であれ、
自分の中に男性エネルギーと女性エネルギーの両方を持っています
その二つのバランスが取れたとき初めて、
本当に完全な波動を持つことが出来ます。」

我々は肉体を持った生き物なので、
次の生命を次代につくる便宜上、肉体に男女があります。
が、
その中身には、男女両方を持っているというのです。

男性の中に女性的な面も存在し、
女性の中に男性的な面も存在する、
というわけですね。

まあそりゃそうだと、中身がおっさんの自分は思うのですが、
世の中にはとかく、
男は男らしく、女は女らしくあるべきだ!
という価値観を固持したがる人も居るもんです。

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(弓道、かっこいいな。)

バシャールさんにもこう指摘されちゃってます。

「長いことあなた方の社会は、
ひとりの人間の中には、男性と女性のエネルギーが
あるのだということを否定してきました。
そして、男性と女性のエネルギーが
ひとつになることを拒否しています。」

今でこそ、女性のパンツルックや
タートルネックの着用は普通のことですが、
1930年代に活躍した女優マレーネ・ディートリッヒ
はじめてタートルネックのセーターを着るまで、
女性はタートルネックを着るものではなかったそうです。
女性がタートルネックを着られるようになって
まだ100年もたっていないという驚き。
(ズボンは第二次世界大戦中、工場で女性が着用するように。
それまではズボンを着用する女性は非難されていたそう。)

さて、
男性の(民族衣装以外での)スカートの着用はいつ、
非難の対象ではなくなるでしょうね。

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(大ばあさんの旦那さんの前の奥さんかな)

この頃はTVに女装をした男性タレントもよく出ているし、
一般の男の子にも、化粧水したり軽く化粧したりと
美容に気をつかう人が現れたりしているので、
男女の感覚の融合が起こり始めているのかな?と。

人間の新しい進化が始まっているかもしれません。


私の個人的見解ですが、
自分の中の異性を拒否するより、融合したほうが
一人の人間の発するパワーや才能は大きくなるだろうなと。
特に芸術のせかいなどでは。

自分の中の女性性を否定した男性が生み出す小説より、
自分の中の女性性を融合できた男性の小説のほうが、
たぶん面白い。

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(たぶん祖母と同級生の方々)

一つの性の視点がとして、
二つの性の視点を併せ持ったそれは、
2以上になる、
と私は思っています。

男女関係でも、
「男」と「女」が一緒になることで2になるとして
(実際は2未満だとおもう)
「男女を融合した」二人が一緒になると、
2以上になるような気がします。
(妄想ですみません)

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(たぶん祖母の妹さんたち)


再びバシャールさんの言葉。

「より高いレベルで見たとき、
『これか、あれ』ではなく、常に『これと、あれ』なのです
つまり、別の視点から見ると、どちらも真実なのです。
低いレベルでは全く無関係のものに見えたりすることも、
より高いレベルから見ると、
物事の間に常につながりがあるのが分かります。」

「どちらかでなければならない」という考えは、
レベルの低い考え方なのかも知れません。


「意識の進化とは、『バランス』です。
このレベルとほかのレベルのバランスをとること、
全てをここ(自分)に取り込むことなのです。
進化とは統合です。」

自分の内面の男性性と女性性。
力強さと柔らかさ。
そのどちらも自分の中に取り込み、統合する。


ポジティブなエネルギーは統合するエネルギー、
ネガティブなエネルギーは分離するエネルギー。
力は分離すると弱くなり、統合するとよりパワフルになる。」

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(祖母の腹違いのお姉さんと、妹さんかな?)


前半では、田舎の男尊女卑な部分のあれこれについて、
後半では、バシャールさんの語る
男女のエネルギーの統合について、書きました。

ザックザクに言ってしまいますが、
やっぱり田舎の方が進化が遅れているなと思いました。


男女、いろんな人は居ますが、
どちらかというと女性の方がより、
「新しいものごと」への反応の早い人が多い気がします。

人は自分の進化の足を引っぱる要因を嫌う。

人類の進化の流れにいち早く乗り始めた女性は、
田舎から出ていく、あるいは出ていきたいのでは。

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(大ばあさんとその息子たち。そして、大大ばあさん!)

バシャールさんの言葉を。

「古いもの(古い定義づけ) から新しい物に変えるとき、
その古いものを愛し、それが今までの自分に教えてくれたことを
いとおしく思えれば、一番早くすすめます。

古いものが自分に教えてくれることのひとつは、
古いものはもう自分に必要ないということです。

『自分が何でないか』を教えてくれる古いものに感謝してください。
それによって、『自分がなにであるか』に近づきます。」


そして、個々の変化にしたがい、

「皆さんのマインドの中で古い概念が壊れるにしたがって、
その反映として、社会の中の古い概念、仕組みもまた壊れます。」


人の意識が変わると、
社会の意識も変わってゆくのでした。


変化に対する怖れは、何かを失うことに対する怖れです。
でも、すべてのことは一番うまい具合に起きるのだ、
偶然はないのだということが分かっていれば、
何も失うことを怖れる必要はありません。」

変化が苦手な私にとっては耳が痛い話です…
でも、人が扱いの差を感じて苦痛を感じるような慣習は
より、苦痛のない方法に変えればいいと思ふ。

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(大大じいさんかな?)


オカルティー界では名のある、
イギリスのデイヴィド・アイクさんの言葉を抜粋します↓

「人類はこれまでずっと誰かを熱狂的に信奉、支持するといった
見上げる行為をやってきましたが、
真正面(同じ高さ)から(人を)見つめることが必要です。」

ちょっと書置きを失くしてしまったのであいまいですが、
「関係に上下があると、力は発揮されない」
ということを書いておられたのが印象的でした。
同じ高さではない関係、
例えば
〘したがわせる者〙〘したがう者〙という関係では
集まった人数分の力は発揮されないという。
〘したがう者〙の立場では対等に意見は言えないでしょうからね。

人は対等な関係で意見し、議論することで
より大きな力を発揮することができる・と。

いかにその集まりで大きな力を発揮させるか、
上司や上の立場の人の力量が問われる部分ではないでしょうか。


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(これ大砲?戦時中の写真かな)


とまあ、
葬儀に関わる一連の集まりの中で、
いろいろなことを目の当たりにし、
同時に
オカルティー界で言われている言葉のあれこれを思い出し、
思うところがいろいろあったのでした。
とても疲れた…

ちなみにバシャールさんの言葉に
「自分自身が非常に疲れるのは、
本当の自然な自分に一生懸命抵抗しているからです。」

というものがありました。

いかに自分の意思に反することを無理にして
勝手に疲れていたかが分かります(笑)

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(祖母の腹違いのお姉さんか、あるいは大大じいさんの先妻さんかな)


おおかた書きたいことは書きましたので、
ここでしめていいんですけど、
バシャールさんの言葉・実践編、みたいなことを
自身でちょっとやってみましたので、
その報告も…しようかなぁ~と考え中。
(つまらんかも知れません)