オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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鳥取へ④ 大神山神社・奥宮☆御本殿と金門



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今日も元気に【ややオカルティー注意】苦手な人逃げて。
日本の山はそれだけで霊的な場所ですからね~。

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先日はもののけ姫の歌詞とともにひたすら
大神山神社・奥宮(おおかみやまじんじゃ・おくみや)の参道をUPしました。
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しとしと降り続く雨の中、大山の参道をのぼり、
ようやく二の鳥居が見えてきたところまで紹介しました。


ようやく御本殿に到着のようです。
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あそこに見える門のところなんだな。
もうちょっとだ・頑張ろー。


ひなびた色をした門に苔がむし、
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周りの木々といい調和を見せていて美しいです。

山陰の神社は奈良的といいましょうか、
まっ赤っかーな朱塗りとかではなく、
木の色そのままのひなびた雰囲気のものが多いと思います。

朱塗りというのはなかなか難しいもので、
ヘタすると周りの景色を押しのけて
そこだけがピカーッと目立ってしまいます。

碧い海や、にぎやかな街中が背景の時は朱も綺麗ですが、
日本特有の濃い緑の自然の中では
木の素材そのままの色が一番合っています。

雨がちで暗い天候のことが多い山陰では
ここのような色合いが最も美しいと思います。
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と、神社の色にまで口を出す(笑)


門から向こうの風景が見えてくると、
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まだ向こうに階段があった絶望感…は神社あるある(笑)


や・やっと見えてきた御本殿。
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おお、思ったよりも大きくて立派な御本殿です。
さすがは大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀る神社です。
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狛犬もこのとおりの神々しさです。
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大神山神社・奥宮の社殿は1805年に建てられたものだそうです。
案外歴史は浅いのかなと思いましたがそうではないようです。

元々は大山寺智明権現(だいちみょうごんげんしゃ)として
古代、中世から大山信仰の中心だったとのこと。
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それが明治時代の神仏分離の命により、
現在の大神山神社・奥宮になったという事情なのです。
分離されるまでは神も仏も日本人の中では融合していたのです。

神社や日本の歴史を調べるたび、
この神仏分離というのがいつも引っかかります。
ちょうどこの時代、英国人が入ってきて
日本の霊的文化つぶし始めた時期と重なっていることにも
ずっとモヤモヤしていました。

日本は明治期以前までは非常に霊性に満ちた国だったのです。
全国民総オカルティーが通常運転だったのですね。
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(社殿は京都と地元の大工によって建てられたそうです)

日本の怪談を本にまとめた
松江のスター、小泉八雲さんは
英国人によって日本の文化が潰されることを察知し、
そのことに怒り、反発の意を込めて
地域の霊的文化をまとめた本を書いたのだそうです。

いつかはこの神仏分離のことについて
調べなければならないな…と思いながらズルズルと…
たぶん本当のことは隠されていて難しいと思うんですけど。

でも
日本人は必ず知らねばならないことだと思うんです。
マジで言ってます(キリッ)

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(龍の壮麗な装飾です。上の翼は何を表してるのかな?)


話は逸れ逸れになりましたが、

御本殿にて手を合わせ、参拝を無事すませました。
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記紀では天神族に平和に国をゆずった出雲族ですが、
真実は敗戦と出雲族の首領、大国主の処刑だったと思われます。

よって、大国主を祀る神社というのは
大国主と戦乱で亡くなった出雲族の人々の怨念封じの意味が
あるのではないかと思われます。

なのでここでは、大国主さん含む出雲族の方々の
魂の安寧と成仏を祈ります。
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手を合わせていると、神職さんがそこにいらして、
に~っこりと「有難うございました~」と声をかけて下さいました。

本当はゆっくりお話でもしたいところですが、
同行のおじさんが本殿にて早々おなかの具合を悪くし、
トイレを求めて足早に下山してしまいました。

山の中で標高も高く、じめじめしているので気温が下がります。
おなかが冷えやすいと思います。
参拝に来られる方は腹巻をしてきて下さい。


私と母も早めにお参りをすませて帰ることにしました。
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(木々の向こうに大山の頭頂が見えました)


とか言いながら、
足早にではありますが御本殿横と裏の摂社にもお参りしました。


御本殿の壮大さに比べるとこぢんまりした下山神社ですが、
創建は1330年。多くの武将に信仰があったという
なかなかに歴史のある神社なのだそうです。
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私はアホなので御由緒を適当に読み、
勝手に下山の無事を祈る神様なのだと思って、
「無事に下山できますように~」とかちゃちゃっと手を合わせて
退散したのでありました…


さらにその向こうに、より小さなお社がありまして、

それは弁財天(べんざいてん)を祀る神社でした。
ちっちゃくて中はスコーンと何もない社殿でしたが、
なぜか非常に心地よく感じ、
この社殿の中に住みつきたい衝動にかられながら参拝をしました(笑)
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右写真の下のほうにうっすらと白いオーブのようなものが見えますが、
神社でのオーブはたいてい屋根ぐらいの高さにあり、
下のほうにあった記憶がありません。
なので、単にレンズに付いたホコリなのかも知れません。
霊感ないので分かりません。



さ~て、帰るぞーーっと

帰り際、階段の上から先ほどくぐってきた門を
記念に写真を撮っておきました。
門は神門という名称なのだそうです。


で、

その写真を帰ってからPCで確認したところ、



なんか門の上の方が渦巻いてないか?と。
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門のふもとに居る人たちや下の風景はブレていないので、
気の揺らぎが写ったのかな…?と。

過去の経験からして、
神社に向かう行き道に気の渦巻いた写真が撮れることは
たまにありましたが、そういう時は
帰りには全く気の揺れた写真は撮れませんでした。

今回の参拝では、
行き道では特に渦巻くほどの気みたいなものは撮れていなかったのに
(前回アップしました看板のところの回転写真は帰りに撮りました)
なぜでしょう、
帰りにこれですよ・不思議だなぁ。


ちなみにこれ↓は門の前まで降りて撮った写真で、
普通に「手ブレ」写真ですがイメージ 19
ちょうど門をくぐっていた母の姿が黒く、ひねれていて、
ひざ下が謎の脚長効果(笑)(こんなに足長くありません)
で昆虫のように写っていて不思議だったのでUP。
ちなみに、
画像をアップしてみていた時、一部だけブレていない箇所があったので
さらにアップして見てみたら
何となく動物の顔みたいでした(矢印の先)
気のせいかも知れません。

わたし霊感ありません。あしからず。


そこで撮ったもう一枚の写真↓
母はちゃんと通常に写っていました。
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が、門の向こうに見える景色の気がうねっているような?
う~ん、門や門にかけられた布はうねってないのに
摩訶不思議。


それでですよ、
さっき、ブログをアップするにあたって
もらってきたパンフレットを確認していたところ、
この神門「逆門」といって
前後ろが逆に配置されている門だったのだと知りました…

帰っていくつもりでいて、
実は門に「入って行っていた」のでした。
それで行きしは何もなかったのに帰りに気がうねった?
これもまた摩訶不思議。



さて、


この大神山神社・奥宮の参道には見どころがもう一つあります。
参道の横にのびた道を少し進んだ先にある
「金門」というところです。
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金色の門があると思っていたら見逃します(笑)
何もありません。

案内の看板をたよりに横道に入って行くと、
その先には

大山の壮麗な北壁・全景を見渡せるスポットがあるのです。
お天気だともっときれいな景色なのではないでしょうか。
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ここへいらした方はせっかくなので、
「金門」の看板を見逃さないよう、この景色を観にいって下さい。



アップできる写真の容量に限りがありますので
今回の鳥取旅行レポートはここまでにいたします.。.:*☆
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(可愛い野鳥がいました。名前わかりませんが)



今年は大山開山1300年の記念年らしく、
ちょいちょいイベントもあるようなので、
興味ある方はまたググってみて下さい
(ノ゚∀゚)ノ


長々みて下さって有難うございました♫

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